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亡き父と神戸の薬剤師さん

私の父は偉大なるスーパーマンにして病気とケガのデパートメントでもありました。
私が覚えている限りでもバスケットボールとバレーボールの試合で2回アキレス腱を切って手術を受けて、後年は心臓バイパス、胆のう、胃がんの全摘手術、腹部大動脈瘤、座骨神経痛など様々な病気と戦いながらの生涯でした。

第一級障害者手帳を所持しておりましたが、日本写真家連盟にも所属していましたので、
如何なるときでも何かが気になると動き出す人で、その介護は本当に大変でした。

私の家は父と親が交互に入退院を繰り返す家でした。
当時の私は実家のある神戸ではなく遠方に住んでいたので、週末には必ず実家帰っていましたが、
玄関から声をかけても返事がなく何事かと思えば、父は母を残して撮影旅行に出かけてしまったとのことで母は室内のリンゴ箱につまづいて転倒したまま起き上がる事が出来ない状態だったのでした。

その母が亡くなってからは寂しさからなのか撮影旅行にますます拍車がかかり、
発熱など体調不良のまま出かけることもありました。息子としては心配ではありましたが、どうせでかけるならと腹をくくりました。知り合いの薬剤師の方にアドバイスを頂き、発熱がある時には温泉で徹底的に汗を流させて可能な限り栄養あるものを食べさせて何とか出発の日には間に合わせるようにしました。

しばらくすると私も撮影助手兼運転手として連れ出されるようになったのですが、最も困ったのは夢中になると年齢も筋力も自分の病気も忘れてどこまでも歩き続けてしまう事でした。その夜に必ずやってくるのが座骨神経痛と筋肉痛であることは本人も間違いなく自覚していたはずなのですが、何度繰り返しても懲りるということが有りませんでした。

「いでででで…あああああああ!いでいで!」こんな状況に彼は懲りなくても私は充分に凝りましたので、出先であれ自宅であれ帰ってくるとすぐに風呂に入れてリラックス…そしてすぐに腹ばいで湿布薬を全身に塗るようにしたのです。
それでも痙攣や引きつりは起きる事はありましたが状況はかなり改善されました。

呼吸器も弱っていたのでこれにはヴィックスのベポラップをお湯に溶いて吸入させることでかなりの効果がありました。入院中に注射の薬液が体内に流れず危険な状況に陥ったときには玉ねぎみじん切りを納豆混ぜて100回かき混ぜたものを食べさせたところ急速に症状の改善が見られました。

こういった方法も、知人の薬剤師さんに教えてもらった方法です。この薬剤師さんは出産後、復職したばかりだったようで、とても熱心に仕事に取り組んでいて、本当に親身になってくれました。ありがたかったです。彼女がいたからこそ、父も好きなことをして過ごせたんだと思います。薬剤師は手に職がある仕事とはいえ、彼女のように小さい子供を抱えて仕事をするのは大変だったと思いますが、聞けば神戸に強い薬剤師求人サイトがあるんだとか。便利な世の中になったものですね。(※薬剤師 求人 神戸

最期は最も恐れていた大動脈瘤破裂ではなく腸閉塞ではありましたが、長く苦しむことなく、大好きな若い美人看護師さんの名前を呼びながら静かに逝きました。残念ながら身体はなくなってしまいましたが、父は今でも時折り私の夢に現れては、笑いかけたり説教したりしています。偉大なるスーパーマンとの幸せな親子関係は、これからもお互いにまだまだ続きそうです。

在宅医療の必要性

在宅医療もう20年ほど同じ病院へ通院しています。
その間2回ほど院内のリフォームが行われました。1回目は内科病棟へエレベーターをつけるということで、一部分だけのリフォームでした。2回目は院内全体をリフォームするということで、1階総合受付のテーブルや椅子、それぞれの配置や待合室の本の中身まですっかり変わってしまいました。

新しくリフォームされた1階部分は快適になるようにリフォームされたはずなのに、それまであったソファーは撤去され、硬くて冷たい椅子に変わりました。配置に関しても真ん中のテレビに向かって皆が顔を向けているような状態になり、気をつけないと知らない患者さん同士が顔をじっと見合ってしまい、なんとなく気まずい雰囲気になってしまうような感じの配置でした。

診察で名前が呼ばれるまでの間、新しくリフォームされた空間で椅子に腰掛けてみたのですが、なんとも落ち着きません。それはどうしてなのだろうかと思っていたら、リフォーム前まであったはずの観葉植物がなくなって、椅子とテレビだけの空間に変わってしまっていたからでした。

椅子で座って待っている間、休憩中なのか看護婦さんの話し声もよく聞こえてきました。担当してくれる医師は常勤ではなく他の病院から週に1回来ているのですが、どうやらその医師のことを看護婦さん同士で話しているようでした。せめて患者がいない時にそういう話はして欲しいものですが、看護婦さんが話したくなるのもわかります。なぜなら、その担当の医師は以前薬を処方してもらう際、他の医師に電話をかけて「この処方で大丈夫でしょうか」と確認していたからです。

その姿をみると、患者の私としては「この先生本当に大丈夫かしら」と不安になってしまいます。何度か担当医師は変わりましたが、今回の先生は物腰も低く優しい先生なので好感は持っています。ただ、もう少し自信を持って診察して欲しい、処方してほしいという思いはあります。

病院のリフォーム後、居心地はイマイチな感じになってしまったのですが担当医師が優しいので通っているという状態です。これで先生が変わってしまったら、その時は転院を考えるかもしれませんね。

薬剤師の友人にこの話をしたら、友人も似たようなことを感じていたそうで、彼は在宅医療に力を入れている調剤薬局の薬剤師求人の探し方※私の体験談というサイトを参考にして在宅医療に力を入れている調剤薬局を探し、転職したそうです。
今後、在宅医療が増えていくことを切に願っています。

中性脂肪と血圧は薬で下げるより糖質制限で下げた方が健康に良い

ラーメン私は痩せていた30年前から中性脂肪の値だけが血液検査のたびに指摘されるほど高く、困っていました。

それが20年前に太り始めてから毎年の健康診断で検査や医療が必要だと忠告される様になりました。それでも10年間くらいは検査の前の1週間だけ酒を減らしてジョギングをして、絶食もして医療が必要だと忠告されない結果を出していました。

しかし10年ほど前にそうした工夫のしようがない繁忙期に健康診断が重なり、通院することになりました。通院して検査し、中性脂肪を下げる薬を2週間分処方され8週間で正常範囲になり様子見になりました。その間も繁忙期が続いていたのですが、職場が通院を認めるのできちんと治せと厳しく言われ素直に従っていました。その翌年の健康診断は何とか様子見で済んだものの翌々年にはまた要再検査と指導されました。

丁度その頃に糖質制限が中性脂肪の高い血液異常にも効果があると知り、再検査までに糖質制限を実行しました。白米やパンや麺類などの主食を減らし、タンパク質を増やす食生活に切換えたのです。日本酒とビールも減らし、焼酎とハイボールに飲む酒も切り替えました。そうして受けた再検査はジョギングもせず、中性脂肪を下げる薬を服用していないのに良好でした。

ジョギングは糖質制限の効果が現れて体重が減った後で一時期再開し、2,000メートル10分という痩せていた頃に切れなかった時間の壁も破る事ができました。もちろん、競技レベルでは同年齢の人に較べて劣っていますが10歳以上老けた後で若い時より速く走れるというのは、自分の中で健康が回復したバロメータだと感じました。

その後は糖質制限の徹底度合いにより体重も体調も中性脂肪も一進一退していますが、大きく崩れることはありません。一番の大敵は味噌ラーメンが大好きな自分が何度あきらめさせても復活することです。主食の白米とパンとは元々大好物でもなかったので、抵抗無く減らせました。うどんも同様です。しかしラーメンは好きだし、安いし、減らすだけで大変です。