現役の看護師だったらこんな病院で働きたいな

整形外科に通院していましたが、総合病院に行ったほうがよいということで総合病院の紹介状を渡されて、総合病院に行くことになりました。
通常であれば、初診は15時までに入らなければいけないというお話でしたが、仕事の都合で日程があわずに、15時30分にしてもらいたいとお願いをしました。
総合病院の場合、クリニックと違いそのような対応をして頂けるとは思っていなかったのですが、「紹介状もあることですし今回は受け付けます。」ということで、融通を聞いていただくことができました。

そして私が思っていた総合病院とは大きく異なった点が、とにかく患者の話をよく聞く・説明を詳しくしてくれる・対応が良いといった点でした。

入院患者は看護師や医師と接している時間や理学療法士など院内の方と多く接しているので、時間がないとはいえある程度話を聞いてくれるのは当然だと思います。
しかし、外来患者には冷たいイメージをもっていました。
入院やオペが必要ない患者に対しても、とても丁寧に詳しく話を聞いてくれました。
初診時にレントゲン・MRIの結果を持って行き、画像診断をしていただきました。いくつかクリニックを受診したのですが、診断名は変わりは有りませんでした。

しかし、触診していただいたのは初めてでした。
今まではリハビリ室の理学療法士の方が身体に触れて「ちょっとおかしいから次回の診察でドクターに確認してもらって。」といわれてもドクターはレントゲンを見て判断する為、結局診断名は変わりませんでした。

紹介された総合病院では、触診のほかにも症状を詳しく聞いてくれ、治療に当たってくれました。
そして看護師さんがとても気を遣ってくれるのです。
治療のときも痛みを我慢していたら声をかけてくれます。
治療後に安静時間を要するのですがその間に、様子を見に来てくれるというのが当たり前でした。
今までは「何かあれば呼んでください。」と言われ、看護師さんから様子を見に来てくれる事はありませんでした。

また、初診の日の帰り際に声をかけてくれて「付き添いはいないの?」「どこの病院でもしっかりした対応してくれなくて辛かったでしょう。」「痛みもずっと我慢してきたから、ここでがんばって一緒にリハビリしていきましょう。」と言われた時に涙が溢れ出ました。
実はこちらの病院、函館のとある総合病院での話なのですが、こんな病院があるんだと、皆さんに知っていただきたいです。
わたしも現役の看護師なら、すぐにでも働きたいと思っちゃいました。
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総合病院の外来患者への対応は冷たいというイメージが一変し、今でも頑張って治療を続けることが出来ています。

三宮で脱毛に行ってきました!

今日はちょっと昔話を・・・・・。

私、ムダ毛に思い悩みまくっていた中学生時代の思い出があるんです。

子供の頃から手足の毛深さが悩みの種でした。特に中学生になると、体のあらゆる部分にムダ毛が生えてきていることを発見してそのことで頭がいっぱいになってしまった時期がありました。

例えば、手の指の毛が気になって気になって、こっそりハサミでちょきちょきと一本ずつ切ったりもしていました。顔の眉毛と眉毛の間のムダ毛が気になってしまって暇があれば鏡をのぞき込んではため息をつくこともありました。

母親はあまりムダ毛がない体質らしくて、そんな母のすべすべの手足が羨ましくて仕方なかったのを思い出します。

自分はどうしてこんなに毛深いんだろう、誰に似たんだろう、と真面目に考える日々でした。ある時は、風呂場に置かれてあった親のカミソリで足の毛を剃ってしまおうとして、誤って指に深い傷をつけてしまったこともありました。

入浴して体温があがっていたことが災いして思いのほかたくさんの血が出てしまいました。あふれ出てくる血に驚いて悲鳴を上げたものだから、家族を巻き込んで大騒動になってしまいました。その時も「毛を剃ろうと思って」なんて恥ずかしくって親にも言えなくって、「ちょっと触っただけ」なんて適当なことを言ってごまかしたのでした。

また、ある時は母の化粧道具の中から毛抜きを見つけて、脇にちょぼちょぼと生えてきた毛を抜こうと四苦八苦したこともありました。毛抜きの扱い方にも慣れていなかったし、生えていると言っても脇の毛は大人ほどではなかったので、上手に毛抜きで毛をつかむことすら難しくってほとんど抜くこともできなかったのでした。

悪戦苦闘して得たのはわずかな脇の毛と、同じ姿勢だったことから起こった首の強烈な痛みとぐりぐり毛抜きでいじったゆえの脇の痛みのみでした。

とにかく体中のあらゆる部分に生えている毛が気になって仕方なかったのです。ある時、懲りもせず足のムダ毛をカミソリで剃っていたときに、母親に見つかってしまったのでした。

その時の恥ずかしさといったらたまらないものがありました。今思い返すとそんなに恥ずかしいことでもなかったのに、毛深いことが知られるのも恥ずかしいけれど、そのことを気にしていることを知られることも同じように恥ずかしい年頃だったのだなぁと今になって思います。

まあ、大人になった私はそんな苦労はもちろんしてないですよ!!(笑)

先週も三宮にある脱毛サロンに行ってきたところです。

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無料だけど婚活サイトでゲットした私のダーリン!!

婚活サイトっていいですよね~。

えみっちといいます。
38歳で結婚11年目、小学校3年生になる娘1人います。

今の主人は43歳、13年前に友人の結婚式の2次会が最初の出会いです。
2次会ですから、カジュアルな雰囲気でその場に来ていた友人、新郎新婦と(私はどちらとも仲良くさせてもらってました)気軽に談笑していたのですが、たまたまその場に新郎、私の友人、主人、私といたんです。
そして新郎が突然「こいつさ、彼女いないんだよずっと。すごくいい奴なんだけどさ、誰かいい人いないかなって。」と。
すると私の友人が横にいた私を捕まえて、「ほら、ここにいる!」と言ってきたんです。
当時、私は彼氏はいなくて、その友人は彼氏がいたんです。
そう、たまたま、ほんとうにたまたま私がそこにいた、始まりはそんな感じでした。
主人も突然だったのでちょっとびっくりしてましたね。
そこでアドレスを交換。正直私もその場の流れで…といった感じでした。

まずはどんな人か、それを知るためにごはんに行ったりデートをしたり。
1か月後に主人の方から告白されて私もOK。
優しくて、性格の穏やかな人だったんです。年がちょっと離れているのもあるんでしょうか。一緒にいてこっちも穏やかな気持ちになれました。

当時私も20代後半、主人も30代前半だったので年齢的には結婚を意識しだすことになります。付き合うときもあらかじめ親に紹介してからのお付き合いでした。
でも実は結婚という文字がちらつきだすと主人側の両親が反対してたようなんです(後から聞いた話でした)どうも私が一人っ子で病気の両親がいるということがネックだったようです。ちなみに主人は本家の長男です。
でも、そこで出た主人の男気。当時、主人の家族の中でいちばん権力のあった遠くに住んでいるおばあちゃんに直接結婚のお願いをしていきました。
おばあちゃんは「あんたが決めた人なんだから」と1発OK。
その本気に私も嬉しかったですね、私を思ってくれてるのが伝わってきました。

付き合ってから1年ちょっとでプロポーズを受けました。
クリスマスで、ケーキをもらったんです。
開けてみると…ん?見ると指輪がケーキに埋まってて。手紙も一緒に入っていてシンプルに「結婚してください」と書いてありました。
上手いことは言えない人、でも純粋で一緒にいて楽しい人、この人と年をとっていきたいなとすぐにOKしました。今思えば、キザなポロポーズなのかもしれないですけど。

あ、そういえば無料の婚活サイトが出会いと書きましたが、私、その結婚式でブーケトスを受け取ったんです。それまで婚活サイトの話ってあまり信用してなかったんですが、無料の婚活サイトから舞い降りる幸せってあるんですね。

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亡き父と神戸の薬剤師さん

私の父は偉大なるスーパーマンにして病気とケガのデパートメントでもありました。
私が覚えている限りでもバスケットボールとバレーボールの試合で2回アキレス腱を切って手術を受けて、後年は心臓バイパス、胆のう、胃がんの全摘手術、腹部大動脈瘤、座骨神経痛など様々な病気と戦いながらの生涯でした。

第一級障害者手帳を所持しておりましたが、日本写真家連盟にも所属していましたので、
如何なるときでも何かが気になると動き出す人で、その介護は本当に大変でした。

私の家は父と親が交互に入退院を繰り返す家でした。
当時の私は実家のある神戸ではなく遠方に住んでいたので、週末には必ず実家帰っていましたが、
玄関から声をかけても返事がなく何事かと思えば、父は母を残して撮影旅行に出かけてしまったとのことで母は室内のリンゴ箱につまづいて転倒したまま起き上がる事が出来ない状態だったのでした。

その母が亡くなってからは寂しさからなのか撮影旅行にますます拍車がかかり、
発熱など体調不良のまま出かけることもありました。息子としては心配ではありましたが、どうせでかけるならと腹をくくりました。知り合いの薬剤師の方にアドバイスを頂き、発熱がある時には温泉で徹底的に汗を流させて可能な限り栄養あるものを食べさせて何とか出発の日には間に合わせるようにしました。

しばらくすると私も撮影助手兼運転手として連れ出されるようになったのですが、最も困ったのは夢中になると年齢も筋力も自分の病気も忘れてどこまでも歩き続けてしまう事でした。その夜に必ずやってくるのが座骨神経痛と筋肉痛であることは本人も間違いなく自覚していたはずなのですが、何度繰り返しても懲りるということが有りませんでした。

「いでででで…あああああああ!いでいで!」こんな状況に彼は懲りなくても私は充分に凝りましたので、出先であれ自宅であれ帰ってくるとすぐに風呂に入れてリラックス…そしてすぐに腹ばいで湿布薬を全身に塗るようにしたのです。
それでも痙攣や引きつりは起きる事はありましたが状況はかなり改善されました。

呼吸器も弱っていたのでこれにはヴィックスのベポラップをお湯に溶いて吸入させることでかなりの効果がありました。入院中に注射の薬液が体内に流れず危険な状況に陥ったときには玉ねぎみじん切りを納豆混ぜて100回かき混ぜたものを食べさせたところ急速に症状の改善が見られました。

こういった方法も、知人の薬剤師さんに教えてもらった方法です。この薬剤師さんは出産後、復職したばかりだったようで、とても熱心に仕事に取り組んでいて、本当に親身になってくれました。ありがたかったです。彼女がいたからこそ、父も好きなことをして過ごせたんだと思います。薬剤師は手に職がある仕事とはいえ、彼女のように小さい子供を抱えて仕事をするのは大変だったと思いますが、聞けば神戸に強い薬剤師求人サイトがあるんだとか。便利な世の中になったものですね。(※薬剤師 求人 神戸

最期は最も恐れていた大動脈瘤破裂ではなく腸閉塞ではありましたが、長く苦しむことなく、大好きな若い美人看護師さんの名前を呼びながら静かに逝きました。残念ながら身体はなくなってしまいましたが、父は今でも時折り私の夢に現れては、笑いかけたり説教したりしています。偉大なるスーパーマンとの幸せな親子関係は、これからもお互いにまだまだ続きそうです。

在宅医療の必要性

在宅医療もう20年ほど同じ病院へ通院しています。
その間2回ほど院内のリフォームが行われました。1回目は内科病棟へエレベーターをつけるということで、一部分だけのリフォームでした。2回目は院内全体をリフォームするということで、1階総合受付のテーブルや椅子、それぞれの配置や待合室の本の中身まですっかり変わってしまいました。

新しくリフォームされた1階部分は快適になるようにリフォームされたはずなのに、それまであったソファーは撤去され、硬くて冷たい椅子に変わりました。配置に関しても真ん中のテレビに向かって皆が顔を向けているような状態になり、気をつけないと知らない患者さん同士が顔をじっと見合ってしまい、なんとなく気まずい雰囲気になってしまうような感じの配置でした。

診察で名前が呼ばれるまでの間、新しくリフォームされた空間で椅子に腰掛けてみたのですが、なんとも落ち着きません。それはどうしてなのだろうかと思っていたら、リフォーム前まであったはずの観葉植物がなくなって、椅子とテレビだけの空間に変わってしまっていたからでした。

椅子で座って待っている間、休憩中なのか看護婦さんの話し声もよく聞こえてきました。担当してくれる医師は常勤ではなく他の病院から週に1回来ているのですが、どうやらその医師のことを看護婦さん同士で話しているようでした。せめて患者がいない時にそういう話はして欲しいものですが、看護婦さんが話したくなるのもわかります。なぜなら、その担当の医師は以前薬を処方してもらう際、他の医師に電話をかけて「この処方で大丈夫でしょうか」と確認していたからです。

その姿をみると、患者の私としては「この先生本当に大丈夫かしら」と不安になってしまいます。何度か担当医師は変わりましたが、今回の先生は物腰も低く優しい先生なので好感は持っています。ただ、もう少し自信を持って診察して欲しい、処方してほしいという思いはあります。

病院のリフォーム後、居心地はイマイチな感じになってしまったのですが担当医師が優しいので通っているという状態です。これで先生が変わってしまったら、その時は転院を考えるかもしれませんね。

薬剤師の友人にこの話をしたら、友人も似たようなことを感じていたそうで、彼は在宅医療に力を入れている調剤薬局の薬剤師求人の探し方※私の体験談というサイトを参考にして在宅医療に力を入れている調剤薬局を探し、転職したそうです。
今後、在宅医療が増えていくことを切に願っています。

中性脂肪と血圧は薬で下げるより糖質制限で下げた方が健康に良い

ラーメン私は痩せていた30年前から中性脂肪の値だけが血液検査のたびに指摘されるほど高く、困っていました。

それが20年前に太り始めてから毎年の健康診断で検査や医療が必要だと忠告される様になりました。それでも10年間くらいは検査の前の1週間だけ酒を減らしてジョギングをして、絶食もして医療が必要だと忠告されない結果を出していました。

しかし10年ほど前にそうした工夫のしようがない繁忙期に健康診断が重なり、通院することになりました。通院して検査し、中性脂肪を下げる薬を2週間分処方され8週間で正常範囲になり様子見になりました。その間も繁忙期が続いていたのですが、職場が通院を認めるのできちんと治せと厳しく言われ素直に従っていました。その翌年の健康診断は何とか様子見で済んだものの翌々年にはまた要再検査と指導されました。

丁度その頃に糖質制限が中性脂肪の高い血液異常にも効果があると知り、再検査までに糖質制限を実行しました。白米やパンや麺類などの主食を減らし、タンパク質を増やす食生活に切換えたのです。日本酒とビールも減らし、焼酎とハイボールに飲む酒も切り替えました。そうして受けた再検査はジョギングもせず、中性脂肪を下げる薬を服用していないのに良好でした。

ジョギングは糖質制限の効果が現れて体重が減った後で一時期再開し、2,000メートル10分という痩せていた頃に切れなかった時間の壁も破る事ができました。もちろん、競技レベルでは同年齢の人に較べて劣っていますが10歳以上老けた後で若い時より速く走れるというのは、自分の中で健康が回復したバロメータだと感じました。

その後は糖質制限の徹底度合いにより体重も体調も中性脂肪も一進一退していますが、大きく崩れることはありません。一番の大敵は味噌ラーメンが大好きな自分が何度あきらめさせても復活することです。主食の白米とパンとは元々大好物でもなかったので、抵抗無く減らせました。うどんも同様です。しかしラーメンは好きだし、安いし、減らすだけで大変です。